ベトナム人留学生はミゼラブルか

ホアイ・フーンさん 
ホアイ・フーンさん 

 <深層レポート>

 (以下の記事は2017年1月「情報と調査」123号に掲載されたものです)

ベトナム人留学生はミゼラブルか
 ある新聞奨学生の「声」

                                 坂内 正

 

はじめに

 

少子化が進むなか、今や日本語学校は言うに及ばず、専門学校から大学に至るまで、中国やベトナム、ネパールなどからの留学生が急増している。一方、コンビニ、飲食店、新聞配達さらには物流センターなどの現場では、慢性的な人手不足が続いており、この多くを外国人留学生が担っていることも、今や周知の事実である。学校の定員不足をカバーしつつ、人手不足を埋めるという、いわば一石二鳥の存在として、今や欠くことができなくなりつつある。
 この反面、不法就労や犯罪といったネガティブな問題について、取り上げられることも多くなってきた。特に2015年の外国人刑法犯で摘発された件数が、中国やブラジルを抜いたということで、ベトナム人と犯罪を結びつけた報道も増えている。
 ベトナム人の場合、これに加えて、かなりの留学生がブローカーを介しており、この中間マージンを含め、150万~200万円近い借金をして来日しているという現実がある。こうした問題点については、以前、本誌・拙稿などでも指摘したが、改善されたという声はあまり聞かない。

 

 こうしてなかで、時に明らかに孫引きしたようなニュースも含め「ベトナム人留学生は大変だ。その背景にはブローカーによる借金漬けがある。」といった、いささかパターン化した留学生像も流布されつつある。こういったケースで紹介される留学生の多くは、自身もしくは家族が借金したお金で来日する私費留学生が大半だ。

 そして、彼らの多くが毎日の生活費や授業料だけでなく、故郷ベトナムでの借金返済もしなければならないため、いくつものアルバイトを掛け持ちし、なかには犯罪に走る者もいる、といったイメージだ。
 ほとんどの留学生が、アルバイトの掛け持ちをしているのは事実だ。そうしないと、借金をしていない留学生でも、一つのアルバイトだけでは、生活するのが困難だからだ。
 だが、人手不足が恒常化するなかで、これまで、あまり人前での応対を必要としない配送センターや深夜の弁当作りだけでなく、居酒屋やコンビニといった、日常会話を必要とする、より高いレベルの留学生を、それも来日前から育成し、囲い込むといった流れが出来るようになってきた。    大手のコンビニ・チェーンや飲食店、介護サポート、新聞販売店といったところが中心だ。

 こういったケースでは、現地での授業料や研修費用を支援したり、来日後のアルバイトや住まいを保証することで、少しでもレベルの高い留学生を長期に確保しようとしている。
 しかし、専ら自分で費用を捻出する「私費」に対し、企業などの支援もある「支弁」といわれる留学生の現状が紹介されることは少ない。まれにあっても、匿名であったり、かなり脚色されたものも少なくない。こうしたなかで、ある新聞奨学生の現状をレポートする。

 

2016年12月23日付・朝日新聞
2016年12月23日付・朝日新聞

 

   

 

「私がお金持ちになりたい理由」の理由

 

 昨年(2016年)12月23日、筆者のスマートフォンにメールが入った。誰からかと思って開いたら、ベトナム人留学生 トラン・ティ・ホアイ・フーンさんからだ。

メールの内容は、今朝の朝日新聞の「声」の欄に自分が投稿した原稿が載ったのを見たか、というもの。早速開いて「声」の欄を見た。
 まず、タイトルの「私がお金持ちになりたい理由」というのに驚いた。内容は、子供の頃家が貧しくて母親が苦労したこと、お金持ちになればお母さんの笑顔を見られると思ったこと、だから一生懸命勉強してお金をたくさん稼げる仕事をしたい、というものだ。
 実はフーンさんとは3年前、ハノイの日本語学校で初めて会い、あれこれインタビューし、そのことを本誌 №96・拙稿「ベトナム人留学生とハノイの日本語学校」のなかで紹介した。

 その後、彼女は2014年3月に来日し、2年間日本語学校に通った。現在は2017年春の大学受験をめざし予備校に通っている。インタビューが縁で、来日してからも会ったりはしたが、「声」の欄への投稿のことは全く事前に聞かなかった。


   新聞奨学生の日常

 

 フーンさんは来日以来、今日まで首都圏の新聞販売店で新聞配達のアルバイトをしている。つまり新聞奨学生だ。 
 お金持ちになりたいと書いた背景を説明する前に、彼女の仕事・新聞配達の1日を紹介しておこう。
 まず、起床は毎朝午前1時。1時半~2時 販売店で、前日までに用意しておいた折り込み広告のセット、2時~5時頃までが配達だが、雨天の場合などは5時半とか、まれに6時近くまでかかることもある。予備校は午前9時~午後4時と長丁場なので、夕刊は配達できない。その代わり、朝刊は400部と平均的な300~350部よりやや多い。
 かつては自転車が主流だったが、今の新聞配達にはバイクが必需品だ。そうでないと、とても女性が300部も400部も配れない。こうなると原付バイクの免許が要る。いかにバイク天国のベトナム出身者といえども、日本の免許証は必須だ。実技は必要ないが、筆記試験は受けねばならない。50問中45問以上正解しないと不合格になる、あの試験だ。日本人でも、結構1回で合格出来ない人がいるというのに、彼女は49問正解で合格したという。
 日常生活のことについても触れておこう。毎週土曜日または日曜日が休日。これで家賃と授業料を除いての手取りは約10万円。ここから食事代、水道光熱費、電話代、交通費、社会保険料などを差し引くと、手元に残るのはわずかだが、それでも彼女は毎月故郷の両親に送金もしている。ちなみに部屋は販売店の配慮もあって個室だが、その分 調理やお風呂などの光熱費はもろにかかってくるから大変だ。

今日も来日をめざす若者の勉強が続いている (ホーチミン市・明越日本語学校)
今日も来日をめざす若者の勉強が続いている (ホーチミン市・明越日本語学校)

 バンメトートからハノイまでバスで27時間。

  フーンさんの故郷は、ベトナム中南部の山岳地帯に位置するバンメトートだ。ここは、ベトナム戦争当時の激戦地である。

 ベトナムの地図を見るとわかるが、地形はゆるいS字形をしている。北ベトナムは、南の解放戦線を支援し、南ベトナム軍をたたくべく、このS字形の西側のラオス、カンボジア国境沿いに、いわゆる「ホーチミン・ルート」という物資や武器の輸送ルートを作った。

 そのいわば「トンネルの出口」にあたるところがバンメトートで、古都フエと並ぶ、地上戦の最激戦地であった。今でこそ、ベトナムコーヒーの産地として知られるようになってきたが、戦争による破壊もあって、この地域の発展は特に遅れた。
 ここでフーンさんは大工の父親、パート勤務の母親、姉、兄という5人家族のなかで育った。高校での成績はトップであったが、とても進学する余裕はなかったという。進路を考えていた頃、日本での新聞奨学生の話があり、すぐに応募した。この時、同じように成績の良かった同じような境遇の同級生も3人応募したが、途中で不安になったりして辞退し、残ったのは彼女一人。
 それまで全く日本語を学んだことのなかったフーンさんは、半年間、日本語の基礎を学ぶべく、高校を卒業するとすぐにハノイの日本語学校に向かった。18歳の旅立ちである。
 バンメトートとハノイ間は、もちろん国内線の空路はあるが、もとより航空運賃を払える余裕はなかった。かくして27時間バスに揺られての長旅となった。途中3回簡単な食事は出て、休憩もあるが、それ以外は専ら3人の運転手が交替で走り続ける。このバス代3000円もかなりの出費だったというが、他の手段はなかったのだから仕方がない。
 「今思い出しても、あの狭い座席での27時間はつらかった」と彼女は述懐する。


   希望する大学を目指す

 

 筆者がフーンさんにインタビューしたのは、ハノイの日本語学校に入学して3ヶ月目頃であった。たどたどしい日本語ではあったが、大半は通訳なしで話は通じたから、今振り返ってもすごい。
 来日から2年9ヶ月、フーンさんは12月4日に行われた日本語検定の最難関・N1を受験した。感触はどうだったかという筆者の問いに対し、

「180点満点で100点が合格ラインです。私はギリギリの合格ではなく、180点を目指したつもりです。合格発表は2月です」

―――さあ、どうでしょうか。あんまり自信はないけど、合格できたら嬉しいなぁ―――などという予定調和的な回答を予想していたが、あっさり打ち消された。文章にするとこんなだが、彼女からは自慢そうな口ぶりはうかがえない。どうやら自分を追い込むことで、それをまたエネルギーにするようなタイプなのかもしれない。
 フーンさんは言う。

「あの投稿をしようと思い立ったのは、誰の勧めでも指示でもありません。毎朝、自分が配達していることもあり、自分でも新聞をよく読んで様々なことに興味がわいてきました。日本に来て早や3年近く経とうとしていますが、自分が学んだ日本語の力で、かつてできなかった大学進学の夢をかなえたいのです。だからどこでも入れるところではなく、希望する大学を目指したいのです。でも、そのためにはお金がたくさんかかります。毎月貯金している分と、新聞奨学金で、2017年春の大学受験にチャレンジするつもりです」
 そしてこうも言う。

「販売店の所長は優しくてすごくいい人です。私にとって〝日本のお父さん″です。新聞配達の仕事は、毎日本当に大変だけど楽しいです。暇な時は自分の部屋にいるより、販売店に来て勉強しています。だってわからないことがあると、皆さんが教えてくれるし、今の時期は暖房代もかかるでしょう。大学に合格したってもちろん、〝お父さん″のところで新聞配達の仕事は続けます。」
 販売店主が聞いたら涙しそうな、今の世の中では少し真直ぐ過ぎるほどの日本語が、しっかりと口を次いで出てくる。1年前にも進学はできたはずだ。何しろ今は名前さえ書ければ入学できそうな大学もあるが、彼女はその道は選ばずに、1年間予備校に通った。
 そしてフーンさんは2017年春、自ら志望する大学に挑戦する。


   いい話とよくない話

 

 冒頭述べたように、今や急増する留学生や実習生についての報道も増えてきている。しかし多くはネガティブなのが中心だ。また新聞などは、実習生は取り上げても、それよりも多く存在する留学生の問題はあまり取り上げない。配達の少なからぬ部分を依拠しているため、余計な問題が出ても困ると、及び腰になっているかもしれない。その結果、留学生は残酷だ、ベトナム人の犯罪が急増している、といったニュースだけが新聞以外の媒体で拡がっているのだ。
 今やトランプ新大統領に限らず、ツイッター、ネットなどの影響力は大きく、時に既成のマスメディアを凌駕することも珍しくない。だからこそ、時に不都合なニュースであっても真摯に向き合うべきではないだろうか。
いい話もそうでない話も紹介してこそ報道である。今回紹介したのは、いい話と言えるかもしれないが、これもベトナム人留学生の現実なのである。フーンさんのような留学生も実はたくさんいるのだ。

 

 1月中旬、筆者はホーチミン市の日本語学校を訪問していた。来日を目指す若者たちが、一生懸命日本語を唱和していた。と、ちょうどその時、筆者のスマホにフーンさんからメールが入った。「志望校の一つに合格した」と。

 

<文・写真>  
坂内 正 ( ばんない ただし )
ファイナンシャルプランナー、総合旅行業務取扱管理者。 元政府系金融機関で中小企業金融を担当。 退職後、旅行会社の経営に携わり、400回以上の渡航経験を持つ。 ロングステイ詐欺疑惑など、主にシニアのリタイアメントライフをめぐる数々のレポートを著す。 

著書に『年金&ロングステイ 海外生活 海外年金生活は可能か?』(世界書院)  日本フィリピンボランティア協会(JAVA)相談役
ミンダナオ国際大学客員教授 『情報と調査』編集委員