あきらめなければ夢はかなう

ベトナム人初?理容師試験に合格した留学生

ベトナムで日本流ヘア・ファッションの先駆け目指す

 

 

―ホアン・ティ・チャ・ジャンさん

 

コロナ禍の中で、留学生、技能実習生たちの生活環境も激変し、様々な困窮に見舞われる中で、事件にかかわったり、トラブルに巻き込まれる事例も増えている。マスコミ等の興味本位の報道のために、日本人社会の偏見も増加しているように思われる。しかし厳しい環境の中で、素晴らしい成果を上げている人もいる。ベトナム人留学生ホアン・ティ・チャ・ジャンさん(以下ジャンさん)は、昨年、見事に日本の国家資格である「理容師」試験に合格し、理容師免許を手にした。

「ベトナム人女性で、合格したのは彼女が初めてではないですかね?」

と千葉県内で理・美容室を経営する伊橋昌行さんは言う。ジャンさんは伊橋さんの理容室でアルバイトしながら、日本語を勉強していた。そのひたむきな姿勢をみて、この道に進むように奨め、バックアップした人物でもある。

 

「今のベトナムの理容業界は依然として徒弟制度のような形態で、国の免許制度が確立していない。これまではそれでもよかったが、地下鉄をはじめとする公共交通機関が発達しつつあるベトナムでは、いずれ女性がバイク通勤をやめるようになるでしょう。そうすると、当然、ヘアスタイルも気になってきて、腕のいい理・美容師が求められる。日本で資格を取ったという技術は注目されるはず」(伊橋さん)

ジャンさんは、ベトナムの北部トウエン・クアン市の出身。大学を卒業後、語学留学生として、千葉県柏市に来日した。

 

――日本に来たきっかけは?

 

最初はベトナムで日本語だけ勉強して、漠然と、大学卒業したから通訳にでもなろうかなと考えていました。その時は留学するとすごくお金がかかるから、どうしようかと迷っているときに、奨学金の話を聞いて、それを受けることにしました。

 

――なぜ理容師の資格を取ろうと?

 

日本語学校を卒業したらベトナムに帰ろうと思ったんですけど、アルバイト先の理容室の仕事が楽しかったんです。本当にいい職場だなと思って、「人をきれいにすることって素晴らしいな」って。それで、この仕事やりたいと本気で思うようになって、どうしたら専門学校にいけるかと考えるようになりました。伊橋社長も親身になって相談に乗ってくださり、応援してもらいました。それで専門学校に入学することができたんです。

 

――専門学校に入学できるくらい日本語を勉強したんですね。

 

 日本語の勉強は大変ですが、自分で楽しくする方法を考えました。「勉強しなきゃいけない」じゃなくて、「楽しいから勉強する」。例えばカラオケも勉強。歌いやすい曲探して、日本人の友達と一緒にカラオケをいっぱい歌いました。歌いやすい歌は中島みゆきの「糸」、一青窈の「ハナミズキ」、ほかにもいっぱいあります。タイトルは思い出せないですが全部歌えます()

 

 

<ジャンさんのスマホには、中島みゆきの「糸」、絢香の「三日月」などJ-popが多数入っている。歌詞を覚え、日本人独特の表現を身につけていったジャンさん曰く、「いっぱい勉強したからといって(日本語が)できるわけではない」という。ひたすらに話し、読み、聞いて、そして文法を勉強することの相乗効果によって日本語力がアップした。その結果、2020年2月に日本ベトナム協会が開催した日本語作文コンテストで最優秀賞を受賞、さらには、同年12月の日本語能力試験1級(N1)にも合格したのだ。ジャンさんは、目標を作ることで、難しい勉強も楽しみに変えていった。文章力をつけるために、作文コンテストに応募したのも、入賞するという目標があるから、モチベーションが上がる。『私のおばあさん』というその作文では見事賞金までゲットしたそうだ。>

――専門学校の勉強は、日本語学校とは違う厳しさがあったのでは?

 

クラスの中みんな日本人で、外国人は私だけだったから、先生たちも外国人を教えるの初めてで不安そうでした。でもテストの時でも、先生はすごく心配してくれて、『日本語読める?』って聞きにきたり、とても私に気をつかってくれましたが、クラスは40人くらいいますから、私1人だけじゃない。先生もわたしだけにかまってられないし、授業は先に進まないといけない。だから、わからなかったところは放課後友達に聞いたり、先生に聞いたりしていました。でも、最初の頃は、学校のテストとかもうまくいかなくて、点数も低いレベルだったんですよ。だから悩みました。ここで進むかやめるか…。

 

――やめたいと思うこともあった?

 

なかなかうまくいかなくて、すごく怒られたこともあって、そんな時は「帰りたいな」って思いました。出来なかったときはほんとにつらいなって思いますね。出来ないときはいっぱい泣いて、泣いてても未来は変わらないから、今日だけいっぱい泣いて明日また頑張ろうって。もうほんとにそれくらい思わないと、いま残れないと思う。

やめるのは、簡単だけど、進むのは難しいじゃないですか、やめたらそこで終わりだし、進めば壁にぶつかってもどうにか進めるじゃないですか、だから逃げないで頑張ろうと思いました。先生たちも友達も、とても助けてくれたし、どうにか乗り越えてきました。お陰で、学校の点数でもそんなに(筆記試験とか)下じゃなくて、真ん中の方にずっといたんですよ。

 

――人間関係などで苦労は?

 

専門学校では、やはり外国人だということで、特別な目で見られていました。ほかの子たちよりは年上でしたし、話が合う人はあまりいませんでした。でも仲良くなった友達が2人いて、支えてくれました。私、技術的にほんとに不器用だからなかなかできなくて、その二人が休日でも教えてくれた。この友達の支えで、どうにか乗り越えられたと思っています。今でもラインでつながっていて、みんな就職していて忙しいけど、時間があれば遊ぼうって言ってくれます。

 

――理容室で働いてみて、ベトナムと違いを感じたことはありますか?

 

まず、日本人の働き方というか、結構細かいなと思ったことも、特にこの仕事でベトナムだとそんな風にやらないよね。と思うところもありました。

日本人だと「細かいところでも許さない」という雰囲気が強くて、自分もそれを守らないと怒られる。私も最初はよく怒られました。

一番わかりやすいのは、例えば、タオルの畳み方とか、しっかり線と線があって、上と下とかちゃんと合わないとダメとか、見た目がちゃんとまっすぐになって、先に出したのが上において、新しいのが下とか、順番に使うから古いのが先に使えるように上に置くとか、ちゃんとルールがいっぱいあるから、覚えるのが大変だなって。

でも最初は面倒に思ったことも慣れてみると、逆に全部ルールがあるから仕事しやすいということが、わかりました。守らなければならない決まり事だからやるのだと、最初は窮屈に思っていたんですけど、慣れてきたら、逆にルールがあったから「これ探したい」という時にすぐにある。ばらばらに適当に置くと「あれどこにあったかな?」って探すのに時間がむだになるから、ちゃんとルール決めて、これはここ置くとか、持ってきたらすぐ戻すとか、ルールをちゃんと守った方が仕事がはかどっていいなって感じるようになりました。

 

――これからの目標は?

 

ベトナムに帰って美容室を開店して、日本の技術の素晴らしさを広めたいです。ベトナムでもきっと人気が出ると思います。理容・美容以外でも貿易とか日本との仕事に関わりたいですね。ベトナムも最近経済が発展してきたから、日本の商品を求める人がたくさんいます。

 

ただ、どんな仕事をするにしても、「やらされる」じゃなくて、「好きだから自分でやる」っということが大切だと思います。日本で勉強して、目標があってそこに力を向ければ、絶対に夢はかなうということを知りました。専門学校の時の先生も前向きの先生だったし、まわりの友達もすごくみんな頑張っていました。

友達は『やるか、やらないか』と迷うのではなくて、『やるか、やるか』しかないみたいな感じでした。その言葉をもらって「ホントそうだな」って。

N1も同じ「取るか、取らないか」じゃなくて「取るか、取るか」その気持ちで集中しました。だから、ベトナムに帰っても同じ気持ちで「あきらめなければ夢はかなう」と信じています。